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ヒンドゥー教について


インド カーリー寺院

ヒンドゥー教徒の数は現在約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続き、世界の宗教人口で第3番目の宗教です。


ヒンドゥー教は主にインド・ネパールで広まり、各地で土着の民族宗教と結びつき様々な信仰形態となっています。インド植民地時代に大英帝国側がインド土着の民族宗教を包括的に示す名称として採用したことから、この『ヒンドゥー』という呼称が広まりました。


ヒンドゥー教徒の一日は神さまへの祈りではじまります。多神教のヒンドゥー教ではたくさんの神々が存在し、生き生きとした姿で神さまは描かれ、暮らしの中に溶け込んでいます。お部屋や車中、いつも目の届くところにカラフルな神の肖像画を拝しています。



 ヒンドゥー教では牛は神聖な動物とされています。シヴァ神の乗りもの「ナンディン」として牛は神格化されています。また、不殺生を旨としてるため菜食主義の人も多く牛肉を食べる習慣はありません。

インドにはイスラム教の人もいます。イスラム教では戒律により豚肉は食べません。なので、インドの料理で使われるお肉は、チキン・マトン・ヤギ肉が多くなります。紀元前3000年頃から香辛料を使用していたというインド。スパイスの奥義も気になるところです。


ヒンドゥー教は、神々への信仰と同時に生まれ変わりの輪廻や解脱といった独特な概念を有し、身分(ヴァルナ)・職業(ジャーティ)までを含んだカースト制、また男性は人生を四つの段階にわけた四住期(アーシュラマ)に代表される生活様式を特徴とする宗教です。

 

因果応報「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」という考え方や「業・輪廻」という思想は、日本の仏教においてもそれらを超えたところに悟りの世界があるとされています。

ヒンドゥー教 

ヒンドゥー教には数多くの叙事詩や神話があり圧巻のスケールで語られます。


ヒンドゥー教の萌芽

アーリア人の到来 バラモン教

紀元前2000年頃にアーリア人がイランからインド北西部パンジャーブ地方に侵入しました。当時のアーリア人の宗教は、供物や犠牲獣を成果に投じ、特殊な飲料(ソーマ)を天神に捧げ福を得るというものでした。

飲み物のソーマは、ヴェーダの祭祀で用いられる一種の興奮飲料であり、原料の植物を指すこともある。ゾロアスター教でも同じ飲料(ハオマ)を用いることから、起源は古い。神々はこれを飲用して英気を養い、詩人は天啓を得るために使った。高揚感や幻覚作用を伴うが酒ではない。ソーマは神々と人間に栄養と活力を与え、寿命を延ばし、霊感をもたらす霊薬という。『リグ・ヴェーダ』第9巻全体がソーマ讃歌であり、その重要性が知られる。

※参考:wikipediaソーマ


前1500年頃になると、もともと家父長を最小単位とした部族社会を形成していたアーリア人の社会が、先住民の農耕文化を学び、生産力の安定化、定住化、集団の安定化を計り、王権が強大化し階級が形成されました。祭祀者バラモンによる呪術的な支配により先住民を支配していきます。隷民を最下層に置くヴァルナ(カースト制)がこの時期に作られました。


ヴァルナ(カースト制)のおもな階級


バラモン(婆羅門)・・・司祭・僧侶 ブラフミン(宇宙の根本原理ブラフマンと同一であるとされ、生けにえなどの儀式を行うことができるのはブラフミンだけだとされる。) 

クシャトリア・・・王族・貴族



ヴァイシャ・・・商人・平民


シュードラ・・・奴隷 支配された先住民の人々 


アチュート(アウトカースト)・・・「不可触民」とも翻訳されるが、1億人も の人々がアチュートとしてインド国内に暮らしていそうです。
1950年カーストによる差別は禁止となりましたが、現在でも身分制度はヒンドゥー社会に深く根付いてます。


 

ヴァルナ(カースト制)は親から受け継がれ、自分では変えられないものとされています。結婚も同じカースト内で行われます。ただし、現在の人生の結果によって次の生など未来の生で高いカーストに上がることができる、とされていました。生前の行為つまりカルマの結果、次の多様な生存となって生まれ変わることである輪廻(サンサーラ)と、二度と生まれ変わることのない解脱を至高の理想というヒンドゥー思想の芽生えとなります。


祭祀者バラモンたちは専門的知識を独占し、自分たちの権威をより高めるため祭式を複雑なものにしていきました。 祭式の手順や呪文を少しでも間違えると、社会全体に恐ろしい祟りがおよぶとされ、正確に暗記する必要が生じてきます。

複雑化した祭式や呪文を編纂したものがヴェーダ聖典であり、最も古い時期に成立したのが『リグ・ヴェーダ』であり、紀元前1200年~1000年頃とされています。伝統的なヴェーダの学習は、文字に書かれたものに頼らずに口述伝承、暗唱することが基本となっています。


反バラモン 仏教の興隆 平等主義

紀元前5世紀頃になると、アーリア人と先住民との混血が進み、農業も小麦から米へと転換していきます。階級制度への不満も高まり、社会の枠組から外れて新しい思想を求める一群の人々(シュラマナ)を生み出しました。この中の一人にゴーダマ・スィッダールダ(仏陀)が登場します。煩悩の炎を滅して涅槃(ニルヴァーナ)に入ることが大切である、と説きました。出身階級、性別を問わない平等主義にもとづいた思想は民衆の支持を集めるようになっていきました。


反バラモン ジャイナ教 不殺生

ゴーダマ・スィッダールダとほぼ同時期にニガンタ・ナータブッタも登場します。紀元前444年頃にクシャトリア(王族)として生まれ、30歳で出家し修業を重ねたのちにジナ(修行を完成した人の意)となりました。ジャイナ教とは「ジナの教え」の意味で、ガンタ・ナータブッタで12代目のジナとされています。

バラモン教の供犠や祭祀を批判し、あわせてヴェーダの権威を否定し、真理は多様に言い表せると説き、一方的判断を避けて「相対的に考察」することを教えます。


出家者のための五つの大誓戒(マハーヴラタ、mahaavrata)

(1)生きものを傷つけないこと(アヒンサー

(2)虚偽のことばを口にしないこと

(3)他人のものを取らないこと

(4)性的行為をいっさい行わないこと

(5)何ものも所有しないこと(無所有)である。


アヒンサーを守るための最良の方法は「断食」であり、もっとも理想的な死は「断食を続行して死にいたる」ことである。

ガンタ・ナータブッタも断食の末に死んだとされ、古来、段階的な修行を終えたジャイナ出家者・信者のみがこの「断食死」を許された。

だが、ジャイナ教徒にとってのアヒンサー(不害)は、身体的行為のみならず、言語的行為、心理的行為の3つを合わせたものとして理解されなければならない。人を傷つけることばを発することや人には気づかれなくとも心の中で他者を傷つけるようなことを思うことさえもジャイナ教徒は罪と考えるのである。これこそがアヒンサーの厳しさである。

参考:wikipediaジャイナ教

反バラモンの的思想を持つこの二つの宗派は、その後の長い歴史の中で、ヒンドゥー教にさまざまな影響を与えることになっていきます。



バラモン教からヒンドゥー教へ


ヴェーダを基本とする宗教であるバラモン教は「支配者の宗教」からの変貌を迫られ、インド各地の先住民族の土着宗教を吸収・同化して形を変えながら民衆宗教へ変化していきました。
仏教での仏像製作の影響もあり、バラモン教でも多くの神像が製作されるようになり,超人間的な存在であったヴェーダの神々が、土着神を取り込むことで、人々により身近なものになっていきました。

教義の支柱となった『マヌ法典』は、バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラのカースト(ヴァルナ)の権利、義務、四住期(アーシュラマ)における成長過程での通過儀礼やその他の通過儀礼を規定しています。四住期(アーシュラマ)とは、最終目標の解脱に向かって人生を4つの住期に分け、それぞれの段階ごとに異なる目標と義務を設定したものです。若い時期に出家して遊行する者の増加に歯止めをかけようとする意味合いがあったとも考えられています。

四住期(アーシュラマ)

  • ●受胎から入門式(8 - 12歳)までは四住期に入らず、この間は一人前の人間とは見なされない。

  • 学生期 - 本来の意味は、特定の師匠(グル)に弟子入りして聖典ヴェーダを学習する時期であったが、クシャトリアは武人としての技能の鍛錬や行政統治の実務の勉強も行い、ヴァイシャも世襲の職業に関する勉強も行った。現在では就学期間に相当。

  • 家住期 - 学生期を終えると家業に務め結婚して家族を養う家住期に入る。男子をもうけて先祖の祭祀を絶やさないことが重要視される。このためインドでは中国のような一人っ子政策は受け入れられにくい。『カーマ・スートラ』(愛の教典)は家住期を充実させるための経典である。家住期において家長は家業を繁栄させて大いに儲け、その金を喜捨することも重要と考えられている。

  • 林住期 - 家住期を終えると解脱に向けた人生段階に入る。孫の誕生を見届けた家長は家を離れて荒野や林に住み、質素で禁欲的な生活を営む。

  • 遊行期 - 林住期を終えると住まいを捨てて遍歴行者となって放浪し、解脱を目指す。
  • 参考:.wikipediaヒンドゥー教

四住期は男子のみ適用され、シュードラ及び女子には適用されません。『マヌ法典』の差別的世界観も徹底したものがあり、業(カルマ)・輪廻(サンサーラ)の思想と、バラモンの血統至上主義による浄・不浄の観念に基づいているとされています。



梵我一如という思想 から タントリズム

バラモン教に説かれている解脱には膨大な量の『ヴェーダ聖典』の学習が必要とされていました。
これらの学習は、身分も地位も高い一部の限られた男性のみに許されたものでした。

宇宙の本質・万物の根源を神格化した「ブラフマー(梵天)」。

自分自身の実体=「生気」「霊魂」「身体」「自己自身」「自我」という意味が派生し、ついには「個体を支配する原理」とみなされる「アートマン(我)』。

この宇宙原理「ブラフマン」と個体原理「アートマン」が本質において同一であると、瞑想の中でありありと直観することを目指すのが『梵我一如』の思想であり、これによって無知と破滅が克服され、永遠の至福が得られるとされました。
この『梵我一如』の思想が、以後さまざまな宗教に多大な影響力を及ぼしていくのでした。


7世紀頃から万人にも可能な方法による解脱・神通力の獲得を求める気風が民衆の間に高まってきました。

タントラでは、シヴァ神と神妃シャクティの性的合一による宇宙創成が説かれ難解な梵我一如の思想は、男性原理と女性原理の合致という、わかりやすい形に置き換えられました。

正統なバラモン教からみると、受け入れがたい性器崇拝、飲酒、肉食など解脱への実践として織り込まれ、民衆の心をひきつけました。超人的な能力を獲得するためのヨーガ、数々の儀礼や行法、さらに宇宙観が体系化されていきます。タントリズムは、宗派を超えて中世のインド全体に広まります。

仏教やジャイナ教とも密接に影響しあい、現世を固定し、欲望を解脱へのエネルギーとして生かそうという指向の表われなのでありました。




現在インド人の80%以上がヒンドゥー教徒といわれています。多神教ということや、広大なインド亜大陸の地域集落ごとに信仰の形は多様なものになっています。




参考にさせていただきました。

●中村元『インド思想史第2版』岩波全書1956年

●『ヒンドゥー教の本 インド神話が語る宇宙的覚醒への道』/学習研究社2005年

●山下博司『ヒンドゥー教 インドという〈謎〉』講談社2004年









       タントラ         タントラ 身体に表される宇宙感